生きる値段

2005年9月4日
どうしようもなく落ち込んだとき、
「死ぬこと」を考えるのだが、一方で、
「生きる値段」を考えるときがある。

例えば、青酸カリ(薬物)で死のうという人がいる。
練炭自殺を考える人もいる。
或いは、飛び降り(含む電車・ビルから)を考える人がいる。

私も、過去何度も自殺を考えたことがある。

自分の成績に絶望したとき。
本当に好きだった女に振られたとき。
両親が相次いでなくなったとき。

多くは「自分の将来性に自信が持てなくなってきたとき」であろう。

(特に筆者の場合は、

1.好きだった女に新しく彼氏が出来、親が不治の病と判った時
2.両親がなくなり、好きだった女が結婚を宣言し(その割には、
  今も結婚していないが)、自分の伝えたいことが会社内で表現できず、
孤立状態にあった

ため、二度ほど、真剣に考えたときがある。)

将来性に自信がもてなくなって、自殺を選択する理由として、
「生き続ける」価値と「死ぬ価値」を選んだときに、
「死んだ方」がその「価値(楽である)」が高くなる場合が多いと推測する。

筆者は、個別の事情は判断することが出来ない。

奴隷のような状態に陥っている人間もいるだろうし、
ヤクザまがいの人間に追い立てられている人間もいるだろう。

しかし、自殺の手段のコストを考えた時(要するに、
青酸カリを買う費用を指す)、そのコストは、
「たかだか数万円」と言うことをご存知であろうか。

練炭、七輪なんかは、ホームセンターで、1万円以下で帰るだろう。
レンタカーを借りる場合は、すぐ死ぬのであれば、10万円以下である。
(車を買った場合でも、数百万であるが、多くの場合、
ローンになるので、たかだか五万程度であろう)

余りにも気落ちした際に、青酸カリの値段を調べてみたが、
30万で、十分な致死量を手に入れられるという。

或いは、(後の損害賠償も考慮に入れなければ)、
飛び降り自殺は原則「ただ」(勿論、場所に到達するまでの
「運賃」は必要だが)である。

ここまで書いていて、実を言うと馬鹿らしくなっている(笑)

人間は、たった30万のために死ぬのだろうか。
(その人の背景を完全に無視した場合ですが)

30万で命を投げ出すのである。
ある意味では、自分の命は30万ですと
自殺者は宣言しているようなものである。

30万では、株を1単元買うので精一杯だろう。

自分では言い表すことの出来ない、
悔しさ・悲しさがたった30万円の薬に負けてしまうのである。。。

もう、30万円で復讐はできない。

そして、30万円に人生が負けてしまうんだったら、
30万円以上の苦しみを与えた相手に判らせてから
死んでやろうと筆者は最近思うようになってきた。

また、25歳で死ぬのには早いようだ

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