家族を演じる

2005年8月28日
ある人から、それはおかしいと言われたことがある。

酒宴の席で、「自分の家族は、何らかの演技をしている」
のではないかと話したことについてである。

例えば、

「週1回、家ご飯を一緒に食べましょう」
「(家族の他の)人のことをいたわりましょう」
「みんな、いい子でありましょう」

とか、色々と皆、演技していると私には感じられるところがある。
皆が皆、いい家族を演じようとしている雰囲気がある。

確かにある意味では、仕方がない面は否定できない。

祖父母にとっては、最愛の娘夫婦を失い、
筆者たちにとっては、最愛の両親を失ったのだから、
もう、「家族」は失いたくないという想いをもって、
祖父母、孫たちに接する。(我が家は三世帯住宅でした)

悪くはない。

ただ、何をいまさらという感が筆者にはある。
家族なんて、演じてどうなるんだろう。

全く他人なのに、「君の考えていることは分かったよ」
なふりをされる方が、よっぽど傷つく。
(現に、中学時代に傷ついた)

何も分からないけど、本気で話し合える場所、
少しだけ分かっているから、踏み込んだ議論が出来る場所
と思っていた「家族」が、調和したらどうするんだろうか。

帰る場所なくないか?
外で演技をして、家の中でも演技する。

こんなこと書いて、やっと気が付いた。

やっぱり、ねじが三本くらい、ずれているんだろうな。
愛情というねじが、ぎしぎしと。
もう、直すことができないねじが、ぎりぎりと。

おかしくなっているのは、俺のほうかもしれない

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