2月22日の日記

2005年2月22日
四行日記

■事実 後輩たちとのみに行った。

■気付 飲みながら、彼らは、ラットレースを抜けない
    ことを確認した。

■教訓 「通常」のサラリーマンではだめだと悟った。
    ラットレースを抜けなければならないと感じた。
        
■未来 私は、「給料をもらう人」ではなく、
    仕事に価値を持たせる「仕事人」になり、
    且つラットレースを抜けた「ビジネスマン」になります

新入社員(と言っても、短大を卒業してから、
違う会社から転職してきた)、女性の歓迎会があった。

席上、彼らと話しながら、楽しかったのだが、
ひとつだけ(酒宴の席ではいつも思い出して
しまうことなのだが)思い出したことがある。

彼らは(後輩も含め)、一生「お金のため」に
働き続けるのだろうかと。

私が、今の会社をやっていける理由として、
金以外の目的があるからだ。

もともと、この会社に就職したのは、
弊社がインフラを通じて、社会に貢献すると言う
社訓を掲げており、また実際に、金儲け以上に
「インフラ」を整備することによって、
社会に貢献できると考えたためである。
(もともと、公務員志望でもあったため)

しかし、理想と現実は違う。
時に、人間は現実に敗れそうになることもあるだろう。

ただ、私の場合は、理念をまだ達成していないことから、
辞めないでいるだけであって、理念を達成してしまった場合、
(例えば、数十億のプロジェクトの主要メンバーになり、
そのプロジェクトを遂行した場合は)、その時の
不労収入の状況にも寄るが、会社を辞めることを計画している。

話を元に戻す。

私は、そんなこんなで、金のためには働いていない。

だが、後輩たちはどうだろう。

今の段階は、彼らは辞めることを計画していない。
一生、この会社で働くことを計画している。

もちろん、ある意味「安定」はしている。

ただ、「安定」がだんだんと「呪縛」になるように
思えるのは、私の気のせいだろうか。

例を挙げよう。

確かに(今の状況では)、弊社は人を切らない。
その結果、給与はどんどん(今の段階では)上昇していく。

人生が、進むにつれ、人はさまざまなイベントが起きる。
結婚、出産、家の購入、子の教育・病気。

その結果、自分以外の要因で、出費が増えていく。
結果、(家族の欲望を満たすために)、自分が犠牲に
なることもある。

私の両親は、自分を犠牲に家族の幸せを願った。
結果、二人とも重い病気に罹り、この世を去った。

もちろん、この話は、結果論にしか過ぎない。

自分を犠牲にしたと言うのは、自分が見た主観であり、
親たちから見ると、主観ではないのかもしれない。

しかし、あの時、両親が頑張らなくとも、家族は過ごせた。

だが、病気を治すために、家族の未来を創るために、
余計に自分たちががんばりすぎたがために、
残された家族(祖父母・子ども達)を
余計に悲しませる結果となった。

もちろん、結果論にしか過ぎない。

現に子どもたちは、十分な教育を受け、
将来は拓けているといえるだろう。

お金は必要だと心底思う。

だが、結果として、お金のために働いたために、
もっと言うと、長く時間・精神的に疲労する方法でしか
稼ぐことが出来なかったゆえの結果なのかもしれない。

後輩たちを見ると、根本的な解決には、程遠い
方法でしか、金を稼ぐと言う方法を選択することしか、
現状ないことが、自分に余計にもどかしさを
感じさせてしまうところだろう。

私は、少なくとも親のようにはなりたくない。
(子どもたちには、精一杯施してあげたいが)

だから、それを解消するためには、
お金を多く(それも、雇われる人として稼ぐのではなく)、
稼ぐことが必要だと感じた。

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